境内案内

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境内案内
祖霊殿


祖霊殿

本殿には天照大御神並びに宇布須根神をはじめ信徒各家の諸神霊が奉鎮されています。
春秋の例大祭をはじめ年中の例祭・諸家の霊祭が行われます。
エレベーターが併設され、車椅子での登殿が可能です。


祖霊殿

本殿には天照大御神並びに宇布須根神をはじめ信徒各家の諸神霊が奉鎮されています。
春秋の例大祭をはじめ年中の例祭・諸家の霊祭が行われます。
エレベーターが併設され、車椅子での登殿が可能です。

斎殿

 
神葬祭の祭儀に則り、人生最期の重儀である葬儀・告別式を執り行う斎場として平成元年に創建されました。参列者百五十名前後の収容が可能です。

 

斎殿

 
神葬祭の祭儀に則り、人生最期の重儀である葬儀・告別式を執り行う斎場として平成元年に創建されました。参列者百五十名前後の収容が可能です。

 

社務所


一階に社務所、二階に いけばな教室、
三階には会議室があります。

社務所


一階に社務所、二階に いけばな教室、 三階には会議室があります。
社務所・講堂

社務所・講堂
社務所玄関

社務所玄関
客殿

客殿


各部屋は参拝者控え室・応接室となっています。

車椅子での参拝の方の為、スロープや多目的トイレも完備したバリアフリー構造となっています。

客殿

各部屋は参拝者控え室・応接室となっています。
車椅子での参拝の方の為、スロープや多目的トイレも完備したバリアフリー構造となっています。

客殿

宮崎殿



生前の姿(御遺体)での通夜がおこなえる斎場です。ご家族やご親族の宿泊も可能です。

宮崎殿

生前の姿(御遺体)での通夜がおこなえる斎場です。ご家族やご親族の宿泊も可能です。
宮崎殿
宮崎殿

何木塚 (なんのきづか)
(明治14年頃建立)


「何の木の 花とはしらす 
   にほひかな はせを」
貞享5年(1688)2月松尾芭蕉が伊勢に詣でた折に西行の句「何事のおはしますかは知らねども忝なさに涙こぼるる」を想い、神宮の尊さ・神秘性を詠んだ句といわれます。

神風講社記念之碑
神風講社記念之碑
(じんぷうこうしゃきねんのひ)
(明治22年5月建立)

 
時の講社理事・山田大路元安をはじめ、12名の設立者の名が刻まれています。100余年の風雪に耐えているため、碑文は判りにくくなっていますが「神風講社記念之碑」の下には講社発祥の由来が記されています。 

寛居翁碑

寛居翁碑
(ゆたゐおうひ)
(明治38年12月建立)

足代弘訓(天明4年-安政3年 1784-1865)は、伊勢に生まれ、通称を権大夫・寛居と号しました。幕末における代表的な国学者の一人として活躍、神都の学問振興のため寛居塾を開き、天保の飢饉の時には救済に力をつくされました。これはその数々の功績を称えた碑です。
明治天皇より御下賜金があったことによって、この記念碑が建てられました。

出口直庵先生
出口直庵先生之碑
(明治45年1月建立)

出口延佳(元和元年-元禄3年 1615-1690)先生の彰功碑で、直庵はその号であります。外宮祠官の家に生まれ、伊勢神道家として古典の研究、豊宮崎文庫の創建などに多くの功績を残しました。

虎疫記念碑
虎疫記念碑
(コレラきねんひ)
(明治20年2月建立)
 
明治12年頃より、各地にコレラが流行し、多数の死者が出ました。碑にはその時の悲惨な様子が記録されています。死者はほとんどが貧困者で、葬祭も行えない有様であったため、コレラのおさまった明治20年、弔祭を行い、この恐ろしい病の戒めとするため、ここに記念碑が建てられました。
表忠碑

表忠碑
(明治32年10月建立)

日清戦争において度会郡内より出征し、戦歿された軍人・軍属の顕彰と慰霊の為、この地に建てられました。表忠碑の三字は侯爵山縣有朋の筆によるものです。
現在は斎殿奥に上段部分が移設されましたが当時は総丈10メートル余りと巨大なもので、当社の象徴的石碑でありました。