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明治5年 |
伊勢神宮により神宮教院が開かれる(10月)。倭町・元常明寺において、
その説教所が開かれる。 |
明治6年 |
全国的に教会が開かれ、名称を「神風講社」と統一する。
当社は第一番神風講社であった。 |
明治9年 |
豊宮崎文庫へ移転し講堂を神宮山田説教所とする。
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明治10年 |
現在地に神都伊勢の御霊をお祀りする祖霊舎(祭殿・本殿)の造営が進められる。西南の役の戦没者慰霊祭を神宮少宮司・浦田長民が執り行い今日の霊祭の源となる。
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明治11年 |
豊宮崎文庫の火災焼失により説教所を現在地に建設、これがのちの客殿となる。 |
明治15年 |
神宮教院が独立する。祖霊舎を教院の付属とし第一教区本部「大神宮祠」と改称。
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明治19年 |
祭殿を新たに建て替え、本殿をその奥に移築する。旧祭殿は度会郡大宮町野原の祖霊殿として移される。 |
明治30年 |
神都出身戦没者の慰霊碑として境内に表忠碑が建立される。(9月)
以降、春秋の二季に慰霊祭が行われる。 |
明治32年 |
神宮教院が解散し「神宮奉斎会」となるにあたり、当社はその山田支部となる。(9月)
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明治38年 |
財団法人の認可を受け「神都霊祭会」として、伊勢固有の祖先祭祀を行う。(12月)
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